前から行ってみたかった

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前から行ってみたかった江戸東京博物館へ行った。
特別展を観た後に、ついでのつもりで寄った常設展が思いの外楽しくてかなり長居をした。
江戸時代の庶民生活や、文明開化から現代に至るまでの東京や暮らしの変化のあれこれが細かなデータやレプリカなどと共に紹介されていてとても楽しい。

閉館時間の迫る中ダンナ君と一緒になってさわれる展示に片っ端からさわり、押せるボタンは何でも押し、あーだこーだいいながら見て回った。
この手の施設でとりわけ盛り上がるのは、自分たちが子供の頃の生活や文化を紹介するコーナーで、私たちも70年〜80年代の展示の前で、テレビのチャンネルが外れる話とか、給食に揚げパンがあったのなかったの(私の出身地では揚げパンはなかった)とかでひとしきり盛り上がった。
こういう話は同じ人と何度でも盛り上がって楽しいのがフシギだ。

ふと見ると、隣の90年代のコーナーに30代くらいの三人組がいて、当時の女子高生の制服をしげしげ眺めて何か話しており、思わず耳を澄まして聞いてみると
「この靴下、どうなってんの?」
「レッグウォーマーみたいになってるんじゃないの?」
とか言っている。

ええ〜〜!この人たちルーズソックスを知らん!
かつて黒電話を電話と認識しない小学生を見た時もびっくりしたけど、30代くらいの「ええ年の大人」が首を傾げるシロモノに、あのルーズソックスがなっていたなんて…。
つい最近はやったもんやとばかり思っていたのに…。
時の流れの早さと自分のトシを改めて再確認、ふう。

 


新聞のコラムで紹介されていたのがきっかけで、角田光代の「平凡」を読んだ。
30代くらいの主人公達がさまざまな出来事をきっかけに、人生の分岐となった自分の選択について考え、選ばなかったもうひとつの人生に思いをはせ…という短編小説。

ああしてればこうしてれば、今はもっとよくなったのになぁ〜という後悔はしたことない。
でも、ある程度歳を重ねると、選ばなかった別の人生について誰もが一度や二度は考えるんだろう。
私も昔から「今に繋がるあの選択をしなかった自分」について妄想したりすることは時々あるので、共感を覚えながら読んだ。
小説家という特殊な職業で特殊な暮らしをしているはずなのに(←妄想)、フツーの生活を送るフツーの人々の心の機微をよくこんな丁寧に掬い上げられるもんだなあ。あーだから売れっ子作家さんなんやなー。とか余計なお世話の感想を挟みつつ。

ある登場人物と同じく、私の妄想の中でも他の人生を選んだ自分は特別幸せでも何でもなくて、恐ろしいくらいザ・平凡な生活をしている。
過去の色々な点で取捨選択をして、その結果今の自分が出来ているのは偶然のような必然のような、自分で決めたのか何かに決められたのか、あれこれ考えていると不思議な気分になる。

人生もとっくに半分終わって。
若さのシンボルと思っていたルーズソックスは遠い過去のシロモノで、これから流行る(今流行っている)モノにはきっとどれにもついていけん。
とはいえ、残りの人生こんなもんよとも思わない。
何かを選んで何かを捨てて、意外な自分になっていると面白いな。
いくつになっても年代別の過去の自分を笑って見ていられたらなーと願う。

時間切れで博物館の最後の方はゆっくり観られなかった。
また今度は常設展だけ観に行くのもいいかな。