イベント活動自粛のあおりで

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イベント活動自粛のあおりで予定がなくなり、一日大阪に出ていた。
あまり足を伸ばさない中崎町へ行ったり、中津方面へ行ったり、さんざん歩いてちょっと疲れたので、大阪駅近くのショッピングモールのジュースバーでフレッシュジュースを飲んで休憩していた。

スマホの画面を開いて何気なく目をやったら、「100日後に死ぬワニ」の文字。何?
この瞬間初めて知ったのだが、ネットで大変話題の4コママンガらしい。
明日がちょうど100日目になるそうで何やら盛り上がっているとか。

ごくごく普通の生活を送るワニのたわいもない日々を描くコマの上には「○日目」の文字。
そして読者は神の目線でワニの一生を見るというような仕掛けになっている。

斬新やな〜と思いながらジュース片手に記事を読んでいたら、隣の女性2人組の会話が耳に入って来た。

実家ではナマコを正月にいつも食べるねん。買わへんで、海から掬ってきて浸けるねん。
豆乳は普段あんまり使わへんわ〜、あ、でも鍋のときは使うけどな。
脈絡のない会話がどんどん繰り出され話は尽きない様子。
昔からの友人なんかな。ああ、こういうテンポの会話、なんか懐かしいなー。

会話を小耳に挟みながら、そういや気軽に友人と近くの店で会ってちょっと喋って帰る、なんてことをもう長い事していないことに気づいた。
もともと友人付き合いは積極的にしない方だけど、引っ越ししてからは「ちょっと会って喋る」なんてことは無くなったなー。
地元で誰かと会うときは何週間も前に「○月には帰るんで○日に〜」みたいなずいぶん助走の長い約束ばかりになっている。

ワニの記事の続きには、このマンガのアイコンをきっかけに再び連絡を取り合うようになった読者のエピソードが紹介されていた。
作者がその話を引いて、連絡先に入ったまま関係が途絶えている人に連絡したいと思っても、実際に踏み出すのはなかなか難しいが、自分のマンガが関係再開の一歩になったということはとても嬉しいというような事が書かれていた。

隣の2人組の話を聞きながら丁度似たような事を思っていたので、記事を読んでちょっとびっくりした。
そういや久しく会っていない友人に会ってみたいと思う事もあるけど、今更かなーとか、急に連絡もらっても迷惑かなーとか思って結局年単位で先送りしてるな…。とかぼんやり考えていたのだ。

マンガの肝は、自分の終わりを意識する事によって最期に納得できるような生き方を考えてみないかという問いかけだそう。
何か自分のタイミングとも合ったのでワニのマンガに興味が湧いてきた。
明日いきなり最終回だけ読むか、単行本を待つか、ネットで1話から探して読むか…。
友人に久しぶりに連絡を取るのは…また何かきっかけができてからにしよう。
縁があるのならまたいつか会うはず!
あー、あとナマコも久しぶりに食べたい!

実家の私物を片付けたくて、昔集めていたチラシを全て処分した。
写真はラーメンズのチラシ。今見てもかっこいいデザインで、これらは捨てられんかった。

ドラッグストアの店頭に

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ドラッグストアの店頭に「マスク入荷未定」の張り紙を見るようになって久しい。
最近は手製の布マスクをつけている人も見かけるようになった。
高値の転売も横行する中、ないなら自分で作るという発想は前向きでいいなーと思ってはいるが、針仕事が大の苦手で、作ろうという気にまではなかなかならない。

そんな中、実家へ帰ったらハハが手作りマスクを作っていた。
新型インフルの時も、去年父がインフルにかかった時もマスクなどしなかったハハ。
ついにマスクをするのか!しかも手作り!と驚いたけど、聞いてみたらやはり普段はつけないらしい。やっぱし。
ふいに出る咳でも睨まれたり怒られたりする昨今、トラブル回避と周りへの配慮のために作ったのだとか。
今回のコロナには効果は期待できないと言われている布マスクだけれど、確かに何もないよりは全然いいか。

ミシンと端切れを引っ張りだし、型紙をプリントアウトして作っている様子は案外楽しそうで、もはやウイルスとか何とかいうより作る事を楽しんでいるのでは…?というフシも。
こういう所が自分に遺伝しなかったのは悔やまれて仕方がない。

子供の頃はよくハハに服やおやつを作ってもらっていた。
私のもののみならず、人形の服もあれこれ作ってもらったなあ。
しかし当時は凝った作りの既製品や、キラキラした色のおやつに憧れたものだった。
今思うと贅沢言うな~!とアタマを叩きに行きたくなるが、三つ子の魂百までとは言ったもんで、子供のころ刷り込まれたハハの感覚は今の自分に色濃く影響を与えている。

ハハに作ってもらった服の中で一番凝った作りのものは、ピアノの発表会用に作ってもらった茶色のワンピース。
胸の部分は編み上げ靴のように縦に2列ハトメ穴が並んでいて、紐で結ぶような作りになっていた。
スカートのシルエットも大人っぽいキレイなものだったと記憶している。
多分自分がリクエストしたものだったと思うけど…、作るのは相当大変だっただろう。
イヤ、実際大変やったと言っていたような気もする…。

手作り服や手作りおやつの事を思い返すと、それをありがたい事だととさほど感じなかった当時の自分への「分かってない子やねえ、はぁ〜」という残念な気持ちとか、子供の頃の色んな事とか、もうずーっとずーっと過去に遠ざかっていった景色が思い出され、懐かしいような悲しいような何とも言えん感情が湧いてくる。

あんたのマスクも作ったろか?と聞かれて最初は面倒だろうと思い断ったけど、やっぱり作ってもらうことにした。
私の選んだ布は「そんな地味なんにするの〜?」とかぶつくさ言われたけど、出来上がったらなかなか可愛らしいマスクになった。(写真)
数十年ぶりに手にしたハハの手作り品、コロナ禍が過ぎてから使おうと思った。

 

 

 

少し前に、

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少し前に、「遠くまで来たなぁ」とよく思うという内容のコラムを読んだ。
実は私もよく思う。子供の頃の自分、あれ一体ダレ?みたいな。
あれと今のコレが繋がっていると思うと少し変な感覚におそわれる。
何だか恐ろしく遠くへ来た、来てしまった、そんな感じ。

2月ほど前から家でラジオ体操を始めた。
YouTubeを流しながら狭い部屋でひとり腕を振り回している姿はさぞかしマヌケだろうと思いながらも結構一生懸命やっている。
第一だけでなく第二も。そして第一と第二の間に首の体操なるものも挟まっているので、それも丁寧にやる。

これは大人こそやらないといけない体操だなーと毎度すごく思う。
腕をぶんぶんする度に肩甲骨のあたりの筋肉がゴリゴリいう。
首を回すとどこかの角度が必ず痛い。
そして結構疲れる。
だから割と効いてる気がして、できるだけ毎日続けている。

先日地元へ帰った折りに知人と会った。
ゆっくり話すのは久しぶりで、近況やら共通の知人の話題で盛り上がり、店を出た帰り道で何気なくラジオ体操をやってると話すと「私も!!」と。
おお〜、いるんだ、家でやってる人。
すると彼女が、

「でも、ラジオ体操ってこんな早かったかな〜って。」

それそれそれ!だれかと共有したかった〜!
実は私も初めてYouTubeを流した時、一瞬少し早送りになってるのかと思ったのだ。
音楽についていけなくて動きがワンテンポ遅れてしまう。
子供の頃の軽やかな動きがとっくに無くなっている事実を改めて思い知らされ、その時も「遠くまで来たなぁ」と思ったのだった。
ひとりでひっそりダメージを受けていたけど、こんな事に同じ思いを感じた人が身近にいて何だか嬉しかった。
今はスピードにも慣れてきたので、外で人と一緒にやっても恥ずかしくないラジオ体操が披露できるはず。ふふふ。

 

写真は小さいザクロ。
切り紙でよく題材にするけど、実物はあんまり見る機会がない。
本当は実物もよく見ないといけないんだろうけど…。

前から行ってみたかった

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前から行ってみたかった江戸東京博物館へ行った。
特別展を観た後に、ついでのつもりで寄った常設展が思いの外楽しくてかなり長居をした。
江戸時代の庶民生活や、文明開化から現代に至るまでの東京や暮らしの変化のあれこれが細かなデータやレプリカなどと共に紹介されていてとても楽しい。

閉館時間の迫る中ダンナ君と一緒になってさわれる展示に片っ端からさわり、押せるボタンは何でも押し、あーだこーだいいながら見て回った。
この手の施設でとりわけ盛り上がるのは、自分たちが子供の頃の生活や文化を紹介するコーナーで、私たちも70年〜80年代の展示の前で、テレビのチャンネルが外れる話とか、給食に揚げパンがあったのなかったの(私の出身地では揚げパンはなかった)とかでひとしきり盛り上がった。
こういう話は同じ人と何度でも盛り上がって楽しいのがフシギだ。

ふと見ると、隣の90年代のコーナーに30代くらいの三人組がいて、当時の女子高生の制服をしげしげ眺めて何か話しており、思わず耳を澄まして聞いてみると
「この靴下、どうなってんの?」
「レッグウォーマーみたいになってるんじゃないの?」
とか言っている。

ええ〜〜!この人たちルーズソックスを知らん!
かつて黒電話を電話と認識しない小学生を見た時もびっくりしたけど、30代くらいの「ええ年の大人」が首を傾げるシロモノに、あのルーズソックスがなっていたなんて…。
つい最近はやったもんやとばかり思っていたのに…。
時の流れの早さと自分のトシを改めて再確認、ふう。

 


新聞のコラムで紹介されていたのがきっかけで、角田光代の「平凡」を読んだ。
30代くらいの主人公達がさまざまな出来事をきっかけに、人生の分岐となった自分の選択について考え、選ばなかったもうひとつの人生に思いをはせ…という短編小説。

ああしてればこうしてれば、今はもっとよくなったのになぁ〜という後悔はしたことない。
でも、ある程度歳を重ねると、選ばなかった別の人生について誰もが一度や二度は考えるんだろう。
私も昔から「今に繋がるあの選択をしなかった自分」について妄想したりすることは時々あるので、共感を覚えながら読んだ。
小説家という特殊な職業で特殊な暮らしをしているはずなのに(←妄想)、フツーの生活を送るフツーの人々の心の機微をよくこんな丁寧に掬い上げられるもんだなあ。あーだから売れっ子作家さんなんやなー。とか余計なお世話の感想を挟みつつ。

ある登場人物と同じく、私の妄想の中でも他の人生を選んだ自分は特別幸せでも何でもなくて、恐ろしいくらいザ・平凡な生活をしている。
過去の色々な点で取捨選択をして、その結果今の自分が出来ているのは偶然のような必然のような、自分で決めたのか何かに決められたのか、あれこれ考えていると不思議な気分になる。

人生もとっくに半分終わって。
若さのシンボルと思っていたルーズソックスは遠い過去のシロモノで、これから流行る(今流行っている)モノにはきっとどれにもついていけん。
とはいえ、残りの人生こんなもんよとも思わない。
何かを選んで何かを捨てて、意外な自分になっていると面白いな。
いくつになっても年代別の過去の自分を笑って見ていられたらなーと願う。

時間切れで博物館の最後の方はゆっくり観られなかった。
また今度は常設展だけ観に行くのもいいかな。

 

初めて知った言葉、

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初めて知った言葉、セミファイナル。
セミ・最後(死にかけ)、で、セミファイナルって、なんと秀逸なネーミングやと感心してしまった。

死んでると思って安心して横を通ったらいきなりビビビビッと元気よく飛び回られた日にゃ寿命が確実に3年は縮まってると思う。
子供の頃からずーっとセミ嫌いなんで、ひと夏3年の単純計算でも90年くらい縮まってる…。
だとゾンビか、私。
とにかく、夏は町中お化け屋敷の気分で本当に外出が憂鬱なのだ。

どこでこの言葉を知ったのかというと、昨年引っ越して来たマンションにびっくりするくらいセミが来て、コワさが倍増したことに端を発する。
どうやら死に場所?になってるらしく、寿命わずかな奴らの最期の地になっているようなのだ。

夜中に飛び回る音も怖いけど、翌朝1階まで転々と転がっている「セミファイナル」の横を通るのが怖すぎて、昨夏は土日以外(←週末は露払いダンナ君がいるのでOK)ほぼ外出していない。。。
なんでここに来るのか原因は不明だけど、とにかく昨夏は恐ろしかった(;´Д`)
とはいえ、当面住むのに毎年こんなことでは嫌だ!と今夏は生まれて初めてセミ問題と向き合う事にした。できれば引っ越ししたいが、そんな理由ではまずムリ。。
で、こわごわ(画像でもコワイ)「セミ対策」で検索してみたところ、先の「セミファイナル」を知ったのだ。

セミ怖い」って誰に言っても「ハァ?」で終わってたのだけれど、ネットで調べてみたら何と同胞の多い事か!
夏場が憂鬱な人、外へ出られない人、玄関のドアを開けられない人......ホラホラ、こんなにいる~、心の友よ〜。
みんなの苦しみに激しく共感しながら見てみたところ、様々な有効手段を教えてくれているではないか。
なんで早く調べなかったんだろ。

で、皆さまの教えの通りに今年私がやったこと。
[その1]マンションの廊下の電気をLEDにする。(自分が通る所の電気すべて勝手に替えてやったぜ、ふふふ。)
[その2]朝夕ドア外に木酢液スプレーを撒く。(結構独特なにおいがするけど苦情がこなくて良かった。。)
[その3]アシナガバチ用殺虫剤「ハチノック」を買う。

あと日傘。外出時にはドアを開けた瞬間からさしている。マンションの廊下で日傘をさして歩いているのはさぞ奇妙に見えるだろうけど、知ったこっちゃない。

9月も半ばになりようやくセミの声もほぼなくなった。総括すると…。
[その1]…あんまり効果なし。ダンナ君曰く、「昼間に来てるんちゃう?」
[その2]…あんまり効果なし。
[その3]…これ効果あり!スプレーの飛距離が3mほどもあるので遠くから撃退できるし、ファイナルかどうかの確認にも大いにに使えた。(ただ、驚いたセミが自分に向かって来る危険と隣り合わせ。そして高価な割にすぐ中身なくなる…)

とはいえ[その1][その2]も無駄かといえばそうではなく、ガや小さな羽虫類がこの夏はほぼ来なかった。(あまり外に出てないから信頼度は低いが…)
セミについても去年より数は少ないように思えたが、今年は暑い時期が短かったからこれも単純に比較できない。。
誰にもやれと言われていないのに自由研究をやったようなひと夏だったけど、来年もまだまだ彼らとの戦いは続きそうな予感を残して今夏は終わった。

写真は件のハチノック。これは携帯用(笑)
ありがたい事に今年は外での出番なかった。ちなみに家には大きい缶が常備してある。
セミは害虫じゃないから殺虫剤とかないらしいよ…。

先日、駅にて。

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先日、駅にて。
大量の人が次々降りて行く中で、ごろっと音がしたので見ると、少し離れた場所で誰かの財布が床に落ちたとこだった。
後ろの人がすぐ拾うだろうと思い見ていたら、誰も拾わず財布をよけて降りて行く。
いつの間にか落ちた財布の周りだけぽっかり空間が出来ていた。
人が川ならサイフは中州やな〜とぼんやり眺めていて我に返った。
いやいや、なぜ誰も拾わんのや。

終点までこのままだったら手元に戻るまで時間かかるよなぁ。盗まれるかもやし。
降りる駅ではなかったけど誰も拾う様子がないので、人波が途切れた隙に財布を拾い電車から降りた。
駅員さんに渡そうと改札へ向かおうとした時、血相変えて階段を駆け上がってくる若い男の子が。
声をかけたらやっぱりその子の財布だった。
落とした瞬間、周りの数人は気づいた様子だったのに誰も構わなかったのが自分にはちょっと衝撃的で、「東京砂漠〜♪(死語!)」と思わず頭で歌った出来事だった。


ふた月ほど前、関西のある駅で。
電車から歩幅5センチくらいのおじいちゃんがヨチヨチ降りようとしていた事があった。
周りにおばちゃんや若い子がいて、おじいちゃんを両脇から抱えて何とかドアが閉まる前に降ろしてあげようと必死になっていた。
その電車に乗ろうとしていた私や周りの人たちは、遠くにいた駅員さんに「まだ降りる人いてる〜!」と手を振って猛アピール、かくしておじいちゃんは何とか下車することができたのだった。

どっちもたまたまの事で、これだけで関西は〜とか関東は〜とか言うのは違う。(東京砂漠とか言っときながらだが)
けど、事後感?ていうの?後味が対照的な出来事だったので、財布の一件のあとすぐこのおじいちゃんのことを思い出して何かもやっとしたのだった。


その後、用事を終えてトイレに行って鏡を見たら、お気に入りのイヤリングが片方無くなってる!
どこかで落としてしまったらしく、近くを探したけど見つからず…。諦めるしかない。
「財布も拾ってくれないのにイヤリングなんか誰も気にかけないよね〜。」とやさぐれた気分で帰宅した。
いいことしたのに何か仇で返された気分やん。(どう考えても自分の不注意だが。)

帰宅後、早帰りだったダンナくんと一緒に昨年の年末ジャンボ宝くじを開けて番号を見た。
(※ウチでは夏と年末の年2回宝くじを買い、次の販売日直前まで開けずに高額当選の妄想を楽しむ変な習わしがある)
そしたらなんと、自分の方に1万円の当たりがあった。
なんとまあいいタイミングで開けたもんだ。
今日のあれこれを宝くじの神様に「まあこれで収めたって」と言われたような気がした。


写真は雨の日比谷野外音楽堂エレカシの音漏れライブにて。(駅の一件とは全然違う日)
昔は興味なくても、年を重ねたことで聞きたくなる音楽もあるものだなーと自分を新鮮に思う。

ようやっと

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ようやっと小さい制作の山を超えた。
「制作の山」とか偉そうに言ったものの実は天保山ほどの小山、しかも予定より遅れさらに他にやる事も控えている。
ただでさえ手が遅いんだから駄文を書くヒマがあればさっさと作業を先にやればいいのにと心から思う。(また書くのも結構な遅さなんだ)

子供の頃からけっこうリアルでくっきりした夢を見る。
夢は脳の記憶整理作業とか聞いた事があるけど、現実に体験したエッセンスがちょっとずつ入っているので、実際に行った場所か夢の場所だったか判別がつかない事もしばしば。

過去の夢の場所がより広がって再登場することもあり、夢の中で「あ、この先は前の夢で来たところだ〜」と思う事もよくあって結構楽しい。
また、自分の好みが反映されたいい雰囲気の場所が多く、起きて「なんだ夢か〜〜」と本気でがっかりしたりもする。
なもんで、もし「夢見る機械(by諸星大二郎)」が出来たらきっと率先して入るだろう。
VRの技術とか応用してそういう機器が出来ないもんかしら。まさに白昼夢…。

現実と夢(妄想)が地続きみたいな世界が結構好きだったりする。良くも悪くも頭の中がコドモなんだろう。
作品を作る時は、現実のデッサン力がないので妄想多め?でゴマかして?いる。
図案を考える時、いい具合に妄想ゾーンに入れた時は良い作品ができてくる。
あくまでも自分で思う「良い」なんだけど…。
ここ数年でもっと脳内を解放した作品が作れたらなぁと思うようになってきた。

中国の切り紙に興味を持った事から端を発し、とにかく色々知りたい、作りたいと思って自分なりに進んできた。
興味の向くまま作り続けたところ、作品だけでなく気持ちにも変化が起こり、長く続けることの醍醐味が少し分かってきたように思う。

始めた頃は色にしても内容にしても「こうでないと!」みたいな思い込みが多かった。
決まりを作り、その時の力でできるものを頑張って作るのはすごく勉強になったと思う。
でも今は自分に課していたものをちょっとずつ外して、外した先にできるものも楽しめるようになってきた。
続けてきた結果、僅かではあるけど技術や知識が身に付いた今だからなれる心境なのかな。
ちりつも…というほど積もってはないが、継続は大事やなと思う事が時々ある。

先の目標は特にないけれど、目の前の小さな目標を少しずつ超えて、数年先にどんなものを作っているのか見てみたいという楽しみはある。
とはいえ、やる気スイッチがなかなか入らん怠惰な性格でもあり、作業に入るまでがすごく大変で…。常にモチベーションが高い人が羨ましい!

ちなみに昨日の夢は、皇族?のような位の高い一族の一員によそから入ったという設定だった。
自由に行動できないなんて何と窮屈な世界なんやと嘆きつつも日々を過ごすという、皇族?から見たら余計なお世話やと怒られそうな内容だった。